塾長からのメッセージ


私も、今まで自分は何を目指してやってきたのか?今後、自分の塾はどうあるべきか?を考える年齢になってきました。実は成績よりも大切にしてきたことがあります。それは生徒やご父母との信頼関係です!生徒やご父母の皆さんとはlineでつながっています。よくメールで質問を受けたり、相談を受けたりしています。卒業の時に生徒から手紙をもらったり、お母さんからお礼のメールをもらったり、生徒から自主的に『塾の掃除をさせてください!』と言ってきてくれたりしました。思いやりや優しさを感じました。それが自分の活力になっています!

親としての共通の願いはただ一つ・・・

 自分が死んだ後でも、子供が自立して生きていけることですよね?

そのために必要なことは何か?それが初めに書いた質問の答えになります!

 1 協調性

 2 独自性

 3 積極性

を身につけること。これを授業中に意識していろいろな話をしています。そして実践している姿を見せています。今年1年、時間をかけて体系化し効果が出るような形にしていきます!

 

自己紹介

昭和27年3月28日生。血液型O型。長崎県佐世保出身。

父の仕事の関係で、小学4年生の時に、福岡県飯塚市に転居。

嘉穂高校卒業後、鹿児島大学工学部機械工学科入学。

学生時代は、学業の傍ら、フォークソング同好会に所属し、バンド活動の日々を過ごす。

卒業後、父が勤めていた(株)幸袋工作所入社。機械設計を勧められたが、あえて現場のエンジニアを希望。

当時、現場実習が1週間のところ、『現場を知らないと、物つくりはできない!』とのポリシーのもと、志願して6ヶ月の現場実習を会社に申し出。操業80年の会社の歴史の中で初めてのケースで異例のこととして驚かれる。

実習期間中、現場の仕事の改善提案を大学ノート2冊分にまとめ、会社に提出するが、予算が足りない等の理由で受け入れられず、それが会社への不信感となり、4年で退社。

会社に勤めていたころから頼まれて教えていた家庭教師の延長線として27歳で塾を始める。

近くの塾と合併して、最盛期で570人の生徒をかかえる、地域NO1の塾になる。

その頃から、これは自分が目指す塾の形態ではない、と考え40歳にて、別の塾を立ち上げる。生徒も先生も一人も引き連れない、文字通り裸一貫で再スタートを切る。

少子化の中、さらに、不況下で簡単に起業できるため塾が増え、競争が激化する中、独自の運営方法で切り抜け、塾開業後、44年目を迎える。

還暦を過ぎたのを機に、ライフワークと位置づけていた講演活動を開始。

生来、目が悪く、サングラスをかけていることが多いので、『サングラスの講師』で登場。

自分の経験をヒントに、受講生がすぐに引き直しが出来、実際に使える講演を目指す。

 

 

学習塾ホクト(特進)代表。

飯塚市在住。母と妻と一男、一女、犬とともに生活。

講演の演題


1 失敗から学べ!BIG 1から真のONLY 1へ。『分相応経営』で息の長い企業へ。

  

多くの失敗を経験をし、それを乗り越えて来た経験を活かし、実際に学べるのは、成功例より失敗の方がより現実的だと実感。

そこに、いくつかのヒントが隠れている。講演の参加者に、自分の業種ですぐに使えるように書き込み式のシート付き。

効果のあるチラシやタウン誌の実例を紹介。

 

2 『させる』から『する』へ。人を受動から能動へ変える方法とは?

 

今まで、多くの生徒を預かり、合格へと導いてきた経験をもとに、自分の指導法の変化に着目。

いかに上手く、わかりやすく教えるか、から、いかに自分でするようになるか?永遠のテーマである、『やる気の創出』への第一歩をふみだせるヒントを提示。

書き込み式資料でわかりやすく解説

講演料


相談に応じます。(ただし、交通費、宿泊費別途実費負担願います。)